善光寺東海別院の本堂を建設するにあたり、初代住職の旭住上人は布教によってその浄財を集めました。その布教の手段として用いたのが「善光寺縁起」の「絵解き」です。「絵解き」は絵軸を用いて布教を行うのですが、紙芝居のような物です。
明治大学の林雅彦先生が中心となり「絵解き研究会」という会に善光寺東海別院も参加しております。その例会として今回は「チベット伝承仏画の絵解き」と題して長野の西方寺にて開催されました。チベットにおける絵解き師の役割を果たす「ラマ・マニ師」が来日され、タンカ(仏画)の絵解きを行ったのです。いつも副住職夫人が「絵解き研究会」には出席するのですが、大変有意義なご縁だったと感動して帰ってまいりました。
8月に息子が比叡山にて僧侶になるべく「得度」を受けて来ました。夏休みが終わり、早速宿題で「夏休みの思い出」という作文を書いておりました。以下その全文です。
『夏休みの思い出』 六年二組 林 佑
ぼくは、夏休みに天台宗のお坊さんになりました。お坊さんになるため得度式を受けに京都の比叡山延暦寺へ行きました。比叡山延暦寺は天台宗の総本山です。
天台宗は中国の天台山で天台大師がひらいた宗派で、それを日本に伝えたのが伝教大師です。伝教大師は平安時代のえらいお坊さんで「お大師様」と呼ばれています。ぼく達はお大師様のご廟(お大師様のお墓)の前で得度式をしました。
得度式は一泊二日で居士林という研修道場に泊まりました。初日は衣の着方やたたみ方やお経の読み方、食事作法と言ってご飯を食べる作法など色々と教えてもらいました。特に食事作法は厳しくて、ご飯を食べた後に洗鉢と言っておつけ物とお茶で器をきれいにすることがむずかしかったです。
二日目の朝、いよいよ得度式が始まりました。得度式は、天台座主という天台宗で一番えらいお坊さんからおかみそりを授けてもらいます。次に、「よく保つや否や?」というお座主様の問いかけに「よく保つ」と答えることでお坊さんとしての色々な約束事の誓いをたてました。そして得度記念におじゅずと台宗課誦と言うお経の本をもらいました。
ぼくの法名は「和佑」と言います。法名とは、仏様の弟子になった人の名前のことです。和という文字は聖徳太子の「和を以って貴しと為す」と言う教えからつけてもらいました。和の字には、やわらいでいてまるくまとまった状態という意味があり、佑の字は人をみちびき助けると言う意味があります。
ぼくは、これからお坊さんとして、弱い人達や苦しんでいる人を助けて仏の道へみちびき、得度で誓ったことを忘れずに、立派なお坊さんになりたいです。
立派なお堂です。大きさは善光寺東海別院とほぼ同じです。善光寺東海別院が男性的な伽藍であることに対し甲斐善光寺さんは女性的な美しさが魅力的な伽藍です。
8月末に甲府の甲斐善光寺さんにお参りして来ました。丁度「峯薬師さん」の特別公開中で、大勢の参拝客で賑わっていました。「峯薬師さん」は甲斐善光寺さんの開基である武田信玄公が元亀2年(1571)に三河に出陣の折、鳳来寺(愛知県安城市)のご本尊であったものを奉還した仏様で、松平広忠公とその夫人於大の方が子授けの願掛けをした仏様だそうです。ちなみにその願いが通じて生まれたのが後の徳川家康公だと伝えられています。甲斐善光寺のご住職によると峯(みね)薬師が胸(むね)薬師に訛り、胸の病気にご利益があると当時は信仰を集めたそうです。三河出陣の頃、信玄公は病を患っており、その回復祈願の為に鳳来寺に訪れたのではないか。また、お像の大きさが小ぶりの事もあり、信玄公はこのお像を自ら抱え縋り病の回復を願ったのではないかと推察されていました。「そうして見ると一層感慨深くお参りできませんか?」とお話して下さいました。今年はNHKの大河ドラマが「風林火山」を放映しています。信玄公ゆかりのお寺です。是非ご参拝下さい。