尾張地方の霊場として知られる祖父江善光寺の境内地は、かつて蓮田であったという。その蓮田に奇瑞が起こった。すなわち、明治42・43(1909・1910)の両年にわたって、一本の蓮の茎より二つの花が咲くという瑞祥があった。そこで、開基の林旭住上人(明治3年〜昭和19年[1870〜1944]は、翌44年(1911)この蓮田を埋め立てて仮りの堂宇を建立(現本堂は昭和2年[1927]上棟)、信州善光寺大勧進より善光寺如来の分身を本尊として勧請することとなった。この草創縁起に基づいて、山号を双蓮山と称するようになり、件の双蓮の花が寺宝として今日伝わっている。
旭住上人は、祖父江善光寺建立のため、熱心な信者の協力を得るとともに、勧進活動の一環として「善光寺如来絵伝」の"ご絵解き"を行なった。その後も愛知・岐阜・三重・滋賀各県を中心に、2幅あるいは4幅の絵伝を6席に分け、各席20分程度の"ご絵解き"をして廻ったと伝えられている。口調は節談説教の語り口だったという。
開基の旭住上人の"ご絵解き"は、子息である二世旭山師(明治39年〜平成4年[1906〜1992])に継承された。旭山師が遷化されてからは"ご絵解き"が途絶えていたが、幸いなことに旭山師がノートに書き留めておかれた台本『善光寺如来絵詞伝』(昭和10年[1935]5月筆記、未完)1冊と、昭和32年(1957)に旭山師自身が吹き込んだ第3席までの録音テープが現存しており、「祖父江善光寺の絵解き史」の一端を垣間見ることが出来るのである。
さて、平成15年(2003)4月6日から5月31日にかけて、はじめての四善光寺(信州善光寺、甲斐善光寺、飯田元善光寺、祖父江善光寺)同時御開帳がなされるにあたり、これに合わせて"ご絵解き"の復活が計画された。旭山師が残した資料を参考に、前年秋より、林和伸・麻子副住職夫妻の手で新たな絵解き台本づくりが始まった(その間、微力ながら私もお手伝いすることとなった)。新しい台本にそった麻子夫人の絵解きを初めて視聴したのは、慌ただしい御開帳前日の本堂外陣の一角であった。
平成16年(2004)11月には、寺外での"ご絵解き"も考慮して、絵解き台本と対応する2幅(共に縦1562mm×横918mm)の新たな「善光寺如来絵伝」が、群馬県甘楽郡下仁田町・安養院(天台宗)住職市川廣師の筆によって日の目を見ることとなったのは、まことに喜ばしいことである。
明治大学教授 林雅彦
平成15年 | 4月 | 四善光寺同時御開帳に合わせて、林雅彦教授の指導のもと、「善光寺如来絵詞伝」の絵解きを復活する。 |
9月 | 第14回愛銀教育文化財団の助成を受ける。 | |
11月 | 明治大学リバティアカデミーの「善光寺信仰と『善光寺如来絵伝』」の中で口演する。同日、第100回絵解き研究会記念例会にても口演する。 | |
平成18年 | 2月 | 佛教大学四条センターの「仏教芸能の世界庶民芸能と仏教」にて口演する。 |
3月 | 「『日本の絵解き』サミット」(主催:明治大学リバティ・アカデミー、那智勝浦町観光地魅力アップ推進委員会) において口演する。 | |
5月 | 尾張地区地理歴史・公民科教育研究総会にて副住職講演の後、口演する。 | |
10月 | 明治大学の学部間共通総合講座「口承文芸」にて講義および口演する。 | |
平成19年 | 1月 | 長野郷土史研究会総会にて口演 |
10月 | 明治大学の学部間共通総合講座「口承文芸」にて口演 | |
信州善光寺本堂再建三百年記念事業、善光寺サミット開催記念講演にて口演 | ||
12月 |
名古屋芸能文化会主催、芸能文化講演会にて口演 | |
平成20年 | 10月 |
明治大学の学部間共通総合講座「口承文芸」にて口演 |
稲沢ロータリークラブ第2217回例会にて口演 | ||
平成21年 | 3月 |
安城市歴史博物館歴博講座にて口演 |
10月 |
明治大学リバティアカデミー講座 「なぜ人は旅に出るのか」フィールドワークに参加 |
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明治大学の学部間共通総合講座「口承文芸」講師(講義および口演) | ||
平成22年 | 8月 |
浄土宗長野教区教化団総会「教化の実践」にて口演 |
10月 |
明治大学の学部間共通総合講座「口承文芸」にて口演 | |
平成23年 | 2月 |
天台宗東海教区 第4回布教講座にて口演 |
現在の所、口演の予定はありません。
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